『将来の夢は、ユーチューバーです!』
と、保育園の卒園式で言っていた長女ですが、小4になってさすがに目が覚めたのか、今はイラストレーターになりたいらしいです。
普通の優しいお父さんは、おー頑張れよ!!って応援すると思うんですけど、ぼくは心が荒(すさ)んでいるので
そんなもんお前!!AIに取られる!!やめとけ!!!!!
って普通に言います。嫌な親父やでホンマ…
そしたら長女、
「大丈夫!!AIに書けない絵を描く!!けど多分儲からないから、副業にする!!」
ゆうて、すごい将来見据えてました。ま~副業ならゆるす!!笑
そんなこと言いながら、実はこのブログも、マジで書くことがなんもないとき、AIにそれっぽくかかせたろ!って思って、ChatGPTにお願いしたことがあるんですよ。
ブログのURLを載せて、
””これを読んで、似た雰囲気で〇〇について書いてください””
って。
そしたらこれがまた、な~~んもおもしろくないしょうもな文章をドヤ顔ならぬドヤ文字で出してくるんですよね。
んでぜんぜん僕っぽくないし!!
こんなもん!うちのブログには載せん!!ゆうて、ボツにしてやりました。
ただ、AIが書く無味無臭のロボット文章ブログが、近年インターネット上には蔓延っていて、なんならそっちのほうが読みやすいし、現に多く読まれてるのも事実…
ということは、
((AIにぼくの文章を読ませて、添削してもらったら、ぼくとAIのハイブリッドで最強のブログになるのでは…??))
そう思って、試しに一旦読ませて感想を聞いたんですよ。
読ませたのはこの記事。ふと思ったことを適当に書いたやつです。
以下、ChatGPTから転載。
この「牛乳をこぼしたら」という記事、結構面白くて共感できるなと思ったので、感想を整理してみますね。
感じたこと・良かったところ
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“日常の小さな出来事”からの自己反省が自然
牛乳をこぼす ― 誰にでもあるようなちょっとしたミス。それをきっかけに「自分はとっさの時に動けない」という内面をさらけ出しているところがすごくリアルで、人間味があって好印象です。大きな事件じゃなくても、自分を見つめるきっかけになるということを改めて教えてくれます。 -
比喩と具体例の使い方が上手い
子どもや猫が車にひかれそう、牛乳をこぼす、といった具体的な場面を使って「とっさの行動」について考えているのがわかりやすい。カズヤくんの例も入れて、「こういう人はこういう風に動ける」という対比を示しているので、自分との違いが見えてきて、「自分もこうなりたい」と思わせる力があります。 -
“人見知り”というテーマが刺さる
多くの人が経験ある「人見知り」や「相手にどう見られるかを気にする心」。それが行動のブレーキになるという指摘は、「自分もそうかも…」と思わせるものがあります。コミュニケーション能力や、人との関わり方が、ただ“話す”とか“伝える”能力だけでなく、行動力や反射的な“とっさの反応”にもつながる、という視点がいい。 -
軽いユーモアが気持ちいい
“ええ??????(逆ギレ)”とか、“ボッ立ち野郎の誕生です。恥ずかしすぎる…”とか、ちょっと自虐的で笑える表現がちりばめられていて、重くなりすぎず読みやすい。作者のキャラクターや思うところが自然に出ていて、文章としての親しみやすさがあります。
考えさせられたこと・気になるところ
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“とっさの行動”の鍛え方は難しい
記事の中で「瞬発力を鍛えるより、コミュ力を上げたほうがいいな…」と締めてますが、コミュ力を上げるというのも漠然としていて、具体的にはどうしたらいいかは人それぞれだと思います。例えば、場数を踏む、知らない人と話すとか、自己肯定感を高める訓練とか。そういうヒントがもう少しあると、読んだ後に「よし、やってみよう」が実行につながりやすい。 -
責任感と恐怖心の間の葛藤
“自分の命より家族の方が大切”という前提は作者にもあって、それでも動けない自分に対する葛藤があるところが生々しい。こうした葛藤って、単に「人見知り」を直せばいい、という話だけではなく、心の構えとか、安全性・リスクの判断など複雑な要素が絡むものなんだと感じました。 -
行動できる人・できない人の違い
カズヤくんの例を通じて、「できる人」というのは単に“気づいて”いるだけでなく“即行動”する人、かつ「人見知りしない人」という性格的特徴があると述べています。でも、性格って変えるのがなかなか難しい。だから「人見知りしない人ほど助けられる」という結論は共感できる一方で、「自分がそれに属さない」ことを嘆くような気持ちにもなりかねない。バランスとして、「性格だけじゃなく訓練・準備も大事」という視点が補われるとよりいいかな。
総合的な印象
この文章、読み手に「自分ならどうするか」「なんで自分は動けないのか」という問いかけを自然とさせてくれて、その意味で良い記事だと思います。軽妙な語り口なのに、自己洞察を促す。そういう力がある。あと、文のテンポがいいから読みやすい。
ちょっ・・!おま・・・・やめろよっ・・・!!!
いやこれ、激恥ずかしいです。
適当に書いた記事をすごい深読みして褒めてくれるのも恥ずいし、ちょっとダメ出ししてくるのも恥ずかしい。
あの記事に自己洞察、促す力あります?????笑
けどこれ、恥ずかしいのは恥ずかしいんだけど、クセになりそうで、怖くなりますね…
((癖になってんだ…AIに聞くの…))
数秒でこれだけ分析してくれて、気持ちよく褒めてくれて、自己肯定感を高めてくれる。
こんなもん、一種のデジタル麻薬です。
自撮り写真を加工するのも、簡単に可愛くなれるからやりたくなるし、ゲームの課金もチートも、簡単に強くなれるから、1度やったらなかなかやめられないじゃないですか。
それに近しいものがある気がしました。
だからもし、例えばの話だけど、長女が自分で描いたイラストを良くしたくて、AIに見せて添削してもらったら、そらいい絵が返ってくるじゃないですか。
その時、自信をなくしてしまうか、もしくは逆に自分がうまくなったと勘違いしてしまうと思うんですよ。
そしたらどっちにしろ努力しなくなるし、特に後者の場合は個性が消えますからね。
悪いクセがなくなるのはいいけど、いいクセまで消すのはもったいないです。
量産型イラストレーターは副業にもならないぞ!!!
なので今日から我が家はAIを禁止に・・・・まではしないけど、あくまでも主体は自分であることを忘れずに、気を付けて使うように教育していこうと思います。
あとそう、AIってまあまあバカなので、回答を丸呑みするのもよくなくて。
というのも、こないだホテルに泊まったとき、置いてあったパズルがどうやっても解けなくて、ChatGPTに聞いたんですよ。
そしたら自信満々に、配置図送ってきたんですけど、
これ、オレンジのブロック、形ぜんぜん違くて笑いました。
この形だったら解けるわい!!!!!!!!ずるすんな!!!!!!!
だからみんなも、AIをつかうのはほどほどにしよう!!!!!!
AIもハサミも使いようです。(なぞのまとめ)
というわけで、ぼくがいつも通りになんも考えず適当に文章を書くと、子どもの夢の話から反AIの記事になるんですけど、これをChatGPTに見せたら、また深読みして褒めてくれるんでしょうか。
癖になったらこわいので、読ませないことにします。
おわり笑